メモにっき

にっきメモ

けものフレンズは人間賛歌?

けものフレンズは1話から丁寧にヒトの特徴や強みを描いてきた。
投擲、持久力、文字、火を使うこと。

そして11話、サーバルちゃんのピンチに対して、己の危険をかえりみず、サーバルちゃんから教わった木登りと、縄を使った頭脳プレイで果敢にトモダチを助けに行く。

ここで涙腺崩壊するわけだが、落ち着いたところでふと考えた。これ(自己犠牲)は『ヒトの性質』なのだろうかと。

これについては実は1話で伏線が張られていて、カバがこう言っていた。「自分の身は自分で守りなさい」と。つまり厳しい自然界の中では自己責任論が強く、普通は他者を助けないものなのだ。かばんちゃんの勇敢な立ち振舞は、我々ヒトという種の、非常に誇らしい特徴の一つなのだ。

けものフレンズは人間賛歌だ。一度そう結論づけた。


……だが、サーバルちゃんは?

サーバルちゃんの最後の行動はなんだった?

バスから転落したあと、かばんちゃんとボスを放り投げて、自分がセルリアンに飲み込まれたではないか!

なんと、身の危険をかえりみずに先に行動を起こしていたのはサーバルちゃんの方だった。

サーバルキャットに関しては「ジャンプ力」「夜行性」「ぜんぜんよわい」「ドジ」といった特徴の言及はあったものの、自己犠牲の特徴はなかったはずだ。作品のテーマである「その動物らしさ」を逸脱した行為。

この行動の原理はなんなのだろう。

それは、これまで共に旅をしてきて生まれた、かばんちゃんとの『絆』に他ならない。種を超えた二人の友情があった。


これに気が付いたとき私は少し恥じた。最初にかばんちゃんの自己犠牲の行動原理を『ヒトの性質』と断じてしまったことに。なんと驕った考えだったのだろう。

かばんちゃんの勇敢な行動と、サーバルちゃんの自己犠牲の行動のあいだに、違いはないのだ。

生き物としての種別をこえた、すべての生物が持つ、原初的な衝動。旅を共にすれば生まれる仲間としての絆。


けものは居ても のけものは居ない
本当の愛はここにある


けものフレンズは愛の物語だ。