「犬も歩けば棒に当たる」がことわざの代表ヅラしてるのが気に食わない
ことわざと聞いてイメージするのはどんなことだろうか。「小難しい」や「意味がよくわからない」といった感想を持つことが大なり小なりあると思う。こういうマイナスイメージを持たせてしまう元凶がまさに『犬も歩けば棒に当たる』にあると、私は考えている。
そもそも「犬も歩けば棒に当たる」とはどんな意味なんだろう。
犬も歩けば棒に当たる
【読み】いぬもあるけばぼうにあたる
【意味】犬も歩けば棒に当たるとは、でしゃばると思わぬ災難にあうという戒め。また、じっとしていないで、何でもいいからやってみれば思わぬ幸運にあうことのたとえ。
-故事ことわざ辞典より
災難をうけるのか幸運をもたらすのか。どっちだよ。動いたほうが良いのかじっとしたほうが良いのか。分からない。また、以下の用例があった。
【用例】「犬も歩けば棒に当たるというから、片っ端からオーディションを受けてみた」
いや全然ピンとこないでしょ。犬が歩くことはそんなに労力の要る非日常的なことなのか、棒が犬にとってご褒美になることなのかとか腑に落ちない点ばかりだ。この用例だったら『下手な鉄砲数撃ちゃ当たる』や『蒔かぬ種は生えぬ』もしくは『案ずるより産むが易し』の方が分かりやすい。『下手な鉄砲~』に関して言えばへりくだった自嘲気味なニュアンスまで表現できる。
用例では幸運をもたらす意味で使われているが、逆に災難を受ける方の意味でも、該当する上位互換のことわざがちゃんとある。『出る杭は打たれる』、『能ある鷹は爪を隠す』など。
ではなぜ『犬も歩けば棒に当たる』がこんなにメジャーになってしまったか自分なりに分析してみた。それは語呂がいいからだろう。思わず口にしたくなる。分析終わり。
ことわざの良さとは本来、ことばにすると長くなってしまう事象をストンと一言で表現できてしまう気持ちよさにあると思う。
- 「いくらプロでも失敗することがあるんだねえ」(20文字)→『猿も木から落ちる』(9文字)
- 「いつも怖い体育教師が卒業式の日に泣いている。珍しいこともあるもんだ」(33文字)→『鬼の目にも涙』(9文字)
- 「残業してまで金稼いでるけどやることはソシャゲ課金かよ」(26文字)→『猫に小判』(4文字)
なんたる圧縮効果。さらに即刻イメージできる絵面と小粋なユーモアまで併せ持っている。
それを『犬も歩けば棒に当たる』こいつのせいで小難しさや普段使いにくい格式張った印象を感じさせてしまっているのではないだろうか。
犬も歩けば棒に当たる、を戦力外通告します。