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わかりづら!!隠しサイトかいな!!
こち亀に登場する変な関西弁として長年あげつらわれてきた「パンおいしいねん!」だけど、ちょいちょい思い出してはそんな変か?と考える。前提として私は父親が関西人で関東語ネイティブである。「○○ねん!」というのは関東語になおすと「○○だよ!」という意味になる。「なんでやねん!」は「なんでだよ!」といった具合だ。では「パンおいしいねん!」はどうなるか。「パンおいしいんだよ!」。たしかにぱっと聞いた感じ違和感を覚える。パンを食べ、唐突にこのセリフが出たとするなら確かに間違った関西弁と断定して良いだろう。だが、何かしらの受け答えだったとしたらどうだろう。「なんでいつも(ごはんではなく)パンを食べてるの?」→「パンおいしいんだよ!」、「そんな笑顔でどうしたの?」→「パンおいしいんだよ!」。変さが減ったように感じられるだろう。関西弁にすると「なんでいつもパンやねん」→「パンおいしいねん!」となる。以上こち亀ニセ関西弁審議委員会よりお送りした
なんでしょうかあれ。スキップさせたくないないなら相応の契約があるはずなんだが(スキップできないCMもあるから)。あれ見たあとスキップボタン押すとなぜか若干の罪悪感を感じてしまう上に、罪悪感を感じなくていいんだよたかがCMなんだからと自分を言い聞かせるという面倒くさい心のやりとりを毎回やらなければならない。これと似たようなことを、ティッシュ配りにも感じるんだよなあ。向こうが押し付けてくるくせに、無下に断ると若干の罪悪感を感じてしまう。これってなんとかなりませんか?有吉さんマツコさんはどう思われますか
ことわざと聞いてイメージするのはどんなことだろうか。「小難しい」や「意味がよくわからない」といった感想を持つことが大なり小なりあると思う。こういうマイナスイメージを持たせてしまう元凶がまさに『犬も歩けば棒に当たる』にあると、私は考えている。
そもそも「犬も歩けば棒に当たる」とはどんな意味なんだろう。
犬も歩けば棒に当たる
【読み】いぬもあるけばぼうにあたる
【意味】犬も歩けば棒に当たるとは、でしゃばると思わぬ災難にあうという戒め。また、じっとしていないで、何でもいいからやってみれば思わぬ幸運にあうことのたとえ。
-故事ことわざ辞典より
災難をうけるのか幸運をもたらすのか。どっちだよ。動いたほうが良いのかじっとしたほうが良いのか。分からない。また、以下の用例があった。
【用例】「犬も歩けば棒に当たるというから、片っ端からオーディションを受けてみた」
いや全然ピンとこないでしょ。犬が歩くことはそんなに労力の要る非日常的なことなのか、棒が犬にとってご褒美になることなのかとか腑に落ちない点ばかりだ。この用例だったら『下手な鉄砲数撃ちゃ当たる』や『蒔かぬ種は生えぬ』もしくは『案ずるより産むが易し』の方が分かりやすい。『下手な鉄砲~』に関して言えばへりくだった自嘲気味なニュアンスまで表現できる。
用例では幸運をもたらす意味で使われているが、逆に災難を受ける方の意味でも、該当する上位互換のことわざがちゃんとある。『出る杭は打たれる』、『能ある鷹は爪を隠す』など。
ではなぜ『犬も歩けば棒に当たる』がこんなにメジャーになってしまったか自分なりに分析してみた。それは語呂がいいからだろう。思わず口にしたくなる。分析終わり。
ことわざの良さとは本来、ことばにすると長くなってしまう事象をストンと一言で表現できてしまう気持ちよさにあると思う。
なんたる圧縮効果。さらに即刻イメージできる絵面と小粋なユーモアまで併せ持っている。
それを『犬も歩けば棒に当たる』こいつのせいで小難しさや普段使いにくい格式張った印象を感じさせてしまっているのではないだろうか。
犬も歩けば棒に当たる、を戦力外通告します。
上に羽織ってるもの脱ぐ
寒くなってくる
筋トレ始める
・体を温めることにもなるので一石二鳥
・最初の行動は上に羽織ってるものを脱ぐ、だけなのでハードルが激低
どうでもいいけど一石二鳥要素がないと何もできなくなってきた