メモにっき

にっきメモ

けものフレンズは人間賛歌?

けものフレンズは1話から丁寧にヒトの特徴や強みを描いてきた。
投擲、持久力、文字、火を使うこと。

そして11話、サーバルちゃんのピンチに対して、己の危険をかえりみず、サーバルちゃんから教わった木登りと、縄を使った頭脳プレイで果敢にトモダチを助けに行く。

ここで涙腺崩壊するわけだが、落ち着いたところでふと考えた。これ(自己犠牲)は『ヒトの性質』なのだろうかと。

これについては実は1話で伏線が張られていて、カバがこう言っていた。「自分の身は自分で守りなさい」と。つまり厳しい自然界の中では自己責任論が強く、普通は他者を助けないものなのだ。かばんちゃんの勇敢な立ち振舞は、我々ヒトという種の、非常に誇らしい特徴の一つなのだ。

けものフレンズは人間賛歌だ。一度そう結論づけた。


……だが、サーバルちゃんは?

サーバルちゃんの最後の行動はなんだった?

バスから転落したあと、かばんちゃんとボスを放り投げて、自分がセルリアンに飲み込まれたではないか!

なんと、身の危険をかえりみずに先に行動を起こしていたのはサーバルちゃんの方だった。

サーバルキャットに関しては「ジャンプ力」「夜行性」「ぜんぜんよわい」「ドジ」といった特徴の言及はあったものの、自己犠牲の特徴はなかったはずだ。作品のテーマである「その動物らしさ」を逸脱した行為。

この行動の原理はなんなのだろう。

それは、これまで共に旅をしてきて生まれた、かばんちゃんとの『絆』に他ならない。種を超えた二人の友情があった。


これに気が付いたとき私は少し恥じた。最初にかばんちゃんの自己犠牲の行動原理を『ヒトの性質』と断じてしまったことに。なんと驕った考えだったのだろう。

かばんちゃんの勇敢な行動と、サーバルちゃんの自己犠牲の行動のあいだに、違いはないのだ。

生き物としての種別をこえた、すべての生物が持つ、原初的な衝動。旅を共にすれば生まれる仲間としての絆。


けものは居ても のけものは居ない
本当の愛はここにある


けものフレンズは愛の物語だ。

キズナアイの旧サイトの場所

http://kizunaai.com/old/

公式サイトの一番下のアイコンからいける(2017/3/20現在)

わかりづら!!隠しサイトかいな!!

「パンおいしいねん!」ていうほど変か?

こち亀に登場する変な関西弁として長年あげつらわれてきた「パンおいしいねん!」だけど、ちょいちょい思い出してはそんな変か?と考える。前提として私は父親が関西人で関東語ネイティブである。「○○ねん!」というのは関東語になおすと「○○だよ!」という意味になる。「なんでやねん!」は「なんでだよ!」といった具合だ。では「パンおいしいねん!」はどうなるか。「パンおいしいんだよ!」。たしかにぱっと聞いた感じ違和感を覚える。パンを食べ、唐突にこのセリフが出たとするなら確かに間違った関西弁と断定して良いだろう。だが、何かしらの受け答えだったとしたらどうだろう。「なんでいつも(ごはんではなく)パンを食べてるの?」→「パンおいしいんだよ!」、「そんな笑顔でどうしたの?」→「パンおいしいんだよ!」。変さが減ったように感じられるだろう。関西弁にすると「なんでいつもパンやねん」→「パンおいしいねん!」となる。以上こち亀ニセ関西弁審議委員会よりお送りした

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永久機関試作キット

みたいのがあったらいいなー。自分は恥ずかしながら「磁石」を使えば永久機関が作れると思ってたんだけどそれでも無理らしいね。でも「こうすればいけるんじゃね?」ってアイデアが浮かんでは、それを実験できなくてモヤモヤするっていうことが定期的におこる。パチンコ玉とか積み木、磁石、ひも、レールみたいのがセットになった永久機関試作キットがあったら欲しい。(自分で集めるのはめんどくさい)

YoutubeのCMでスキップしないのを強要するやつ激ウザ問題

なんでしょうかあれ。スキップさせたくないないなら相応の契約があるはずなんだが(スキップできないCMもあるから)。あれ見たあとスキップボタン押すとなぜか若干の罪悪感を感じてしまう上に、罪悪感を感じなくていいんだよたかがCMなんだからと自分を言い聞かせるという面倒くさい心のやりとりを毎回やらなければならない。これと似たようなことを、ティッシュ配りにも感じるんだよなあ。向こうが押し付けてくるくせに、無下に断ると若干の罪悪感を感じてしまう。これってなんとかなりませんか?有吉さんマツコさんはどう思われますか

「犬も歩けば棒に当たる」がことわざの代表ヅラしてるのが気に食わない

ことわざと聞いてイメージするのはどんなことだろうか。「小難しい」や「意味がよくわからない」といった感想を持つことが大なり小なりあると思う。こういうマイナスイメージを持たせてしまう元凶がまさに『犬も歩けば棒に当たる』にあると、私は考えている。


そもそも「犬も歩けば棒に当たる」とはどんな意味なんだろう。

犬も歩けば棒に当たる
【読み】いぬもあるけばぼうにあたる
【意味】犬も歩けば棒に当たるとは、でしゃばると思わぬ災難にあうという戒め。また、じっとしていないで、何でもいいからやってみれば思わぬ幸運にあうことのたとえ。
-故事ことわざ辞典より


災難をうけるのか幸運をもたらすのか。どっちだよ。動いたほうが良いのかじっとしたほうが良いのか。分からない。また、以下の用例があった。

【用例】「犬も歩けば棒に当たるというから、片っ端からオーディションを受けてみた」


いや全然ピンとこないでしょ。犬が歩くことはそんなに労力の要る非日常的なことなのか、棒が犬にとってご褒美になることなのかとか腑に落ちない点ばかりだ。この用例だったら『下手な鉄砲数撃ちゃ当たる』や『蒔かぬ種は生えぬ』もしくは『案ずるより産むが易し』の方が分かりやすい。『下手な鉄砲~』に関して言えばへりくだった自嘲気味なニュアンスまで表現できる。


用例では幸運をもたらす意味で使われているが、逆に災難を受ける方の意味でも、該当する上位互換のことわざがちゃんとある。『出る杭は打たれる』、『能ある鷹は爪を隠す』など。


ではなぜ『犬も歩けば棒に当たる』がこんなにメジャーになってしまったか自分なりに分析してみた。それは語呂がいいからだろう。思わず口にしたくなる。分析終わり。


ことわざの良さとは本来、ことばにすると長くなってしまう事象をストンと一言で表現できてしまう気持ちよさにあると思う。

  • 「いくらプロでも失敗することがあるんだねえ」(20文字)→『猿も木から落ちる』(9文字)
  • 「いつも怖い体育教師が卒業式の日に泣いている。珍しいこともあるもんだ」(33文字)→『鬼の目にも涙』(9文字)
  • 「残業してまで金稼いでるけどやることはソシャゲ課金かよ」(26文字)→『猫に小判』(4文字)

なんたる圧縮効果。さらに即刻イメージできる絵面と小粋なユーモアまで併せ持っている。

それを『犬も歩けば棒に当たる』こいつのせいで小難しさや普段使いにくい格式張った印象を感じさせてしまっているのではないだろうか。
犬も歩けば棒に当たる、を戦力外通告します。

Google Chromeでフルスクリーン化したとき画面が真っ黒になる時の対処法

【2017/05/29追記】
ブックマーク編集したりするときに出るポップアップウィンドウが表示されなくなってしまい、原因がこの起動オプションだった。
いつのまにか全画面の真っ暗現象は解消されてたので起動オプションはしないようにした。


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ChromeYoutubeなどの動画サイトを全画面で見た時真っ暗になってしまったときの対処法。
Chromeのショートカットを作成し、起動オプションとして「--disable-direct-composition」を指定する。

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参考にしたサイト
http://superuser.com/questions/1098204/chrome-html5-videos-in-fullscreen-are-black-when-intel-graphics-are-enabled-or-h

日本語で「chrome 全画面 真っ黒」で検索しても全然出てこないからしばらく放置してしまった。